二足のワラジストPainter&Golfer まさ

2足のワラジスト(ペンキ屋&プロゴルファー)のまもがペンキ屋とゴルファーの地位向上を夢見て言いたいこと言っちゃうブログ

2007年からペンキ職人へ転身し現在はゴルフとペンキの二足のワラジスト。ゴルフではクラブMOIマッチングの「BoseIlonFactory」所属。ペンキではホンダ塗装所属。2015年からJGRAプロフェッショナル。ゴルフのイベント開催やゴルフと塗装(建物)に関する相談なども受けてます。
塗装の事なら http://paint-honda.jimdo.com
二本でゴルフしちゃうイベント http://nihonopengolf.jimdo.com
ブログでは塗装のあれこれも http://paint-honda.blog.jp

JGRAプロ研修会11月

11月の月例が行われました。
場所は真名カントリークラブゲーリープレーヤーコース(名前長い!)
通称(?)「真名ゲーリー」が会場でした。

[画像:2ed388e4-s.jpg]


ミニツアーをお手伝い&参加している頃から数えてもかなりの回数ラウンドしているコースなのですが、いつ行ってもいいスコア出ません(苦笑)
どうやら研修生時代からゲーリーさんとは相性が良くないのかもしれませんね。

そういえば先日の「師匠とラウンド」の太平洋成田もゲーリーさん設計でした。

ゲーリープレーヤーと言えば、
まだワタシが練習生から研修生になったばかりの頃に所属コースで開催された「世界シニア選手権」(名称は違うかも)に来ていたゲーリープレーヤーと少しだけ会話したことを思い出しました。
その時に「苦手なタイプの人だな」と生意気にも感じてました(笑)

レンジではいつもと変わりなく、パットも悪くない。
1番ティーショットも左からアゲンストの中まずまずでした。
2番ティーショットもまずまずでしたが。。。
思えば1番のセカンドショットがFWから
「ヤーデージを信じ切れないままショットを打った」
「1年前に左のクリークに捕まったことがよぎった」
という状況のまま打ったのが、乱れる原因かもしれません。
打ったショットに直接的に大きなダメージを感じるほどのショットではなかったものの気持ちのどこかに引っかかったままだったのかもしれません。

風が強くなるのと並行して難易度の高いホールがアゲンストになり強く意識しすぎてしまったことが精神的なダメージを受けてしまっていたのかもしれません。

240ヤードを超えるショートホールでやや左からのアゲンストという状況で抑えてフロントエッジを狙った2番アイアンが右へすっぽ抜けてしまいました。
最悪なのはその周辺がOBまで浅かったこと。
打ち直しからしっかり拾ってダボとしたものの、ショットが安定しない決定打となったようです。

その後はフォローのホールでも1Wの飛距離、方向性共に乱れてしまい「?」な状態のままラウンド終了でした。。。
飛距離が出ないこと、左へ引っ掛かり気味に真っすぐ飛んでいくこと。
う~ん。調子が悪いってことにしてもちょっと変な感じでした。

今回も真ん中ぐらいの成績でした。。。


あれから20年・・・

先日のブログ記事(下のリンクから)でアップしましたが。。。
ワタシの人生を450°変化させることになった出来事があったのは20年ほど前。

サーフィン

ある日突然「海外で修行をしないか?」と聞かれ「そんな方法があるんだ」と驚きながら、突然決意して、その1か月後には言葉も全くわからないのに降り立った異国の地。それがオーストラリア・ブリスベンでした。※今、冷静に考えても「なんでワタシが声を掛けられたのか?」「慎重派のワタシが突然決意したのか?」など疑問が残ることばかり。。。

その異国の地で約1年間、共同生活をしたメンバーで集まり久しぶりにラウンドすることになりました。
ラウンドの様子の記事は・・・「師匠と愉快な仲間たちと」で!

久しぶりに集まり顔を合わせたら眠っていた記憶が蘇ってきたので「健忘録」としても残しておこうと思いブログに書き出すことにしました。

異国の地(2年間在住)では入れ替わり立代わりでTOTALすると10名以上の人と共同生活をしましたが、初期メンバーとも言えるのはワタシを含めた3名と師匠を合わせた4名でした。

師匠とワタシは親子とまではいかないですがかなりの年齢差となります。
当時は師匠40代後半、ワタシ20代後半でした。
あえて生意気な言い方をさせてもらうと「仲間」。。。
というか「なまか」な感じ。
昭和っぽく言うと「同じ釜の飯を食べた」という感じでしょうか。。。

この20年くらいの間には個別に会ったり連絡を取りあったりすることはあったものの、全員集まってゴルフをするのはあれ以来となりました。

師匠のその時の年齢と今のワタシの年齢がほぼ一緒というのも何かの巡り合わせかもしれません。
自分の年齢の時に20代と一緒にあんなことやこんなことをしていたのかと思うと師匠の凄さが身に沁みます。

何度も言いますが(苦笑)このメンバーでゴルフをするのは20年ぶりに近く、あれからの年月はかなりのものですが顔を合わせた瞬間から「あのころ」の感覚に戻るのはなんだか不思議でした。

今でこそ「海外留学」と言うのは当たり前になり、高校や中学でも交換留学なども盛んですから「留学」として海外へ出ていくのは珍しくもありませんしむしろごく一般的に聞く出来事です。

しかし当時は、頭の良い人の一部が「語学留学」などでアメリカに行ったりすることはあっても「ゴルフ留学」しかもアメリカ以外の国へ行くなんて事はメジャーではありませんでした。

ワタシと同世代である「武井壮」氏が有名になって若い頃にゴルフ留学をしていたという話を聞くこともあります。そうした「ゴルフ留学」は一部の大手企業がカリフォルニアなどへゴルフ留学する形を作っていましたがオーストラリアへ行くというのは珍しく「情報もあまり無くみんながよく知らない国」へ行く感覚だったのを思い出します。(とはいえ、ワタシ個人は海外に行くことが自分の人生に起こることだとは夢にも思っていませんでしたが・・・)

日本のゴルフ界の中では「ゴルフ後進国」な位置づけだと言った人もいたくらいで、オーストラリアのプロゴルファーはアメリカや日本やアジアへ出稼ぎに行くことが多く、日本からゴルフ修行に行くという事はあまり考えられないことでした(というかオーストラリアへ修行に行って、修行になるのか?という空気でした・・・)

現に、プロを目指していた当時は「オーストラリアはレベルが低いからあっちならプロに簡単になれるよ」と言う人もいました。
中には「国内で駄目だから逃げるんでしょ?」と言う人もいました(苦笑)

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師匠は元々海外の試合を転戦した経験もあり、メジャーチャンピオンとなった選手と一緒にアジアやアフリカなどを転戦していたプロであり日本では海外武者修行の草分け的存在でもあります。
そんな師匠が様々な国へ行ってみて「オーストラリアはアメリカやヨーロッパへ出ていく為の技術を身に付けるのには最高な場所だ」と感じたことを発端に「オーストラリアで修行を」というものを具現化しようということで発足したのでした。

オーストラリアへ行って目にした若い選手のショット、体験したゴルフ場の難易度、はっきり言って日本に劣る部分を探すことの方が難しいくらいでした。
ジュニアの試合が行われた日に最後の組でPLAYする機会があったのですが、グリーンの硬さ(コンパクション)の凄さに面くらった記憶が鮮明に残っています。
ワタシの経験では、今現在あそこまで硬い仕上がりのグリーンでゴルフをしたことはありません。
でも、あの時に出場していたジュニアは、球をグリーン上で止め、60台を連発していました。
そんな環境で「ゴルフ合宿」「ゴルフ修行」をすることは、ものすごい経験となると感じたものでした。

師匠はその環境で「修行の場」を作り提供しようという事を考えていてその初期メンバーとしてワタシに声を掛けてくれ参加したのが行くことになった原点でした。

現地では「修行の場」の土台作り的な要素もありましたので「衣食住」を自分たちで考え決定して「トレーニングメニュー」も模索するという役割もありました。
そんな中、留学初期メンバー(この日のメンバー)で決めた住居は、観光で人気のゴールドコーストを越えた隣の州、アジア人すら住んで(住んだことない)いない田舎町でした(笑)
家のスグ近所のスーパーへ買い物へ行けば、子供達は指をさして驚き、アジア人をはじめて見るかの様に大人達に不思議そうに見られたのが印象的でした。
※後日仲良くなった現地の人に聞いた話だと「ほとんどの人が日本人を初めて見た」と言っていたそうでした(笑)

そんな修行の場の拠点となったのは、名もないお金もない3人にはもったいないくらいの1軒家でした。
町のゴルフ場を目の前に見下ろす高台にありました。駐車場はリモコンでシャッターが開くというのが一番の驚きで。。。(オーストラリアの家は普通のことでしたが)

1日は朝の散歩(ランニング)から始まり、トレーニングや食事を終えて午前中は芝の上からショットの練習をします。
レンジは自分で持っていったボールを芝から打ち自分で拾ってまた打つというものでした。
芝の上から打てることなんてコースをPLAYする事でしかできなかったのに。。。なんて贅沢な。と思っていたもののオーストラリアでは「レンジで練習をする」という習慣があまりなく、ほとんど貸し切り状態の日々でした^^
自分のボールを使って、拾いに行くことを考えると左右にぶれたら当然ボールがなくなります。頑張って打っても最初は8番アイアンくらいまで。。。いやウエッジを打つくらいしかできなませんでした。。。
お陰で、ウエッジのショットは数えきれないほどできましたので、スイングの根幹となりましたし、これがいまだに身についた技術となっています。
そんな中、260ヤード先の数ヤードしかない狭いエリアに向かってドライバーを打ち球を拾いに行けるようになった頃に持てた自分に対する自信は格別な感覚だったことを鮮明に思い出します。

そして午後からは18ホールのラウンド。
PLAY終了後にはその日の反省点を暗くなるまで修正する練習。

夕食を作り食べて休憩してからは、住んでいた家の地下スペースでサーキットトレーニング。
そういえば、落ち着いた頃に短期修行で来た研修生がサーキットトレーニングで嘔吐してたっけ。。。(苦笑)

トレーニング後は寝るまでゴルフについて話ていました。
その当時に話していたことが今となっては当たり前になったこともありますし、今でも何も変化が無く右往左往していることもあります。
自身のゴルフだけでなく、ゴルフ業界やプロの世界のこれからや有り方など様々な事を話していました。

こんな生活を毎日繰り返してました。

毎日24時間ゴルフの為の時間を過ごす。。。
練習は自分で工夫したり、指導を受けたり。
英語を勉強する暇もなかった。ん?する気が無かった?(笑)
結局最後まで英語はそんなにしゃべれなかったもの。。。(爆笑)

そんなことやあんなことが毎日起こって、あっという間の時間でした。
1年後、ワタシと師匠以外は日本へ帰国。。。

ワタシは更に1年残り、生活やらなんやら全てを自分でやりながら(もちろん師匠や現地のナオさんに助けてもらったりしながら)まさに武者修行。。。
現地の不動産屋へ行き家賃交渉をしつつ部屋を借り、電話や電気などのライフラインを契約し、新たにゴルフ場の登録をしたり。。。

日々の生活は、朝起きて海へ行き、ランニングかサーフィン(形だけで海に入って泳ぐのが目的)をして朝食を食べ弁当を作りゴルフ場へ行く。
レンジでショットを練習しながら一緒にPLAYするメンバーを探す。
ラウンドはほとんどの場合いつも顔を合わせる「オーストラリア人」「南アフリカ人」「韓国人」などとPLAY。もちろんラウンド中はそれぞれの母国語と片言の英語でコミュニケーションを取る。
ラウンド後は暗くなるまでパッティングやチップの練習。

練習やトレーニング、暮らしは完全に1人で行なう。。。

大きな目標はオーストラリアのQTを受験。
月イチくらいでミニツアーやクラブ競技へ出場したり。。。
日本でだって、たった一人で全てやって生活したことすらないのに。。。
在住1年が過ぎても英語は片言。。。(笑)

辛いこともあったし、日本語を数か月間しゃべれなくて頭がおかしくなって(今考えれば)部屋では壁に向かって話していた事もあったり。。。(笑)隣のイギリス人が毎朝挨拶しても返事もしなくてむきになって毎日挨拶したり。。。でも、PCを覚えたり、貴重な体験ができたり、仲良くなった現地の子とQTに行ってあの超有名選手がプロになる前に一緒にPLAYしたり(16ホールくらいだったけど)。。。生涯のベストスコアを出したり。。。ホールイワンを2回したり。。。

帰国後この「有名選手とのラウンド」で体感したことが一度ゴルフを辞める引き金にもなったりしましたが。。。

でもでも、良い経験ばかり!良い思い出ばかり!!

そんな「あの頃」の「あの経験」を一緒にしたメンバーでのラウンドでした。
もちろん、ピリピリ感は一切ない楽しいラウンドは終始笑いの絶えない展開で和気あいあいとラウンドとなりました。

ラウンド後は師匠の声かけで近所のファミレスへ移動して「昔話」をする事となりました。

実はワタシの人生において大きな影響を受けたのがこの「修行」であり「師匠」です。
「師匠」には「お前に師匠と言われるようなことはしてないし教えてないよ」と言われてしまいます(苦笑)でもワタシにとっては師匠が常々言っていたことが大きな影響を受けたことは間違いないですし「師匠」と呼びたいという気持ちなんです。
ゴルフの技術に関してはもちろんですが、ゴルフに対しての考え方だったり、私生活での考え方などを含めた社会人として仕事をする上でも重要なことを教えていただいたのが「師匠」なのです。
※師匠はいまだにワタシには「上下はない。五分五分だ」と常に言ってますが。。。

師匠は、ゴルフ業界に長く深く携わっています。国内外の業界の裏表、深い所まで目にして知っている人です。
当時も今も「絶対に表に出せない話」をしたり、ゴルフ業界のこれからを話したり、ゴルフの熱い話をしたり、政治の話をしたり、バカ話をしたり。。。

ワタシを含めて共通して感じているのは「ゴルフに恩返しを」ということだと再認識できました。

今回集まった4名は、一般的に知られる「プロゴルファー」な活動はほぼしてないかもしれません。
でも、それぞれが違うことをしていても「ゴルフで育った」という事を何らかの形で恩返ししたいと考えているのです。何ができるかはわかりませんが。。。


あれから20年・・・

長いようであっという間でした。

師匠や当時関わった人全ての人に「感謝」したいと思います。


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